テオドール・フォン・カルマン
TheodorevonKorman1881-1963
ハンガリー/ドイツ人
空気力学者
流体力学を学ぶ技術者の卵たちは管摩擦や境界層の理論、あるいは渦の発生に関して間違いなくカルマンの名前に出会うだろう。
フォン・カルマンはハンガリーに生まれ、20代の後半までドイツで仕事をし、のちアメリカに渡って航空機とロケットスペースコレクション・テクノロジーの構築に偉大な貢献をした。
テオドール(Todor)・フォン・カルマンはハンガリーのブタペストで1881年5月11日に大学教授モーリス(Mor)・カルマンの子として生まれた。
父モーリスはハンガリーの中等教育の改革に貢献があり、オーストリア・ハンガリー帝国のフランツ・ヨーゼフ皇帝から爵位を授けられていた。
フォン・カルマンはドイツ人ギムナジウムで初等教育を受け、のちブタペスト工科大学に進んでここで応用力学に興味をもった。
1年間砲兵隊で強制的な軍務に服したのち、この大学で3年間講師をつとめた。
1906年被はゲッチンゲン大学に雇われ、「空気力学の父」ルートヴィッヒ・プラントルといっしょに空気力学の諸問題たとえば温度による気体の比熱の変化や種々の形状の物体まわりの流れについて研究した。
円柱に当たった空気の流れを調べていたとき、彼は規則正しい渦の列が円柱のうしろに発生するのを観察し、渦列が発生する振動数の式を導いた。
それ以来これは「カルマンの渦列(ドイツ語でKarmanscheWirbelstrasse)」と呼ばれている。
アメリカのタコマ渓谷にかかる吊り橋が時速42マイル(約67km/h)の強風を受け大振動を起こして落下するという劇的な事故があったとき、彼はこの振動が渦によって誘起される振動数で加振されたことを証明した。
第1次世界大戦のとき、カルマンはドイツ空軍のために2重反転プロペラの開発、機関砲とプロペラの同期化、ヘリコプターの設計などを行った。
大戦後、彼はグライダーの空気力学的設計に大きな貢献をしたが、これがのちに第2次大戦のときに彼の大嫌いだったナチ空軍の基礎になるとはつゆ知らなかった。
ゲッチンゲン大学では彼の友人でもありライバルでもあったプラントルと乱流の研究をして、航空機とロケットの表面に働く空気力学的抗力を調べた。
1926年彼はドイツを去り、アメリカと日本への旅にでた。
アメリカでは慈善家グッゲンハイマーの寄付になるカリフォルニア工科大学の研究所におおいに興味をもった。
1929年に彼は再びここに戻り、以来ここで航空研究所の所長になった。
またアエロジェット・エンジニアリング社やロケットの研究を行うジェット推進研究所の設立を援けた。
彼は一度も結婚をしなかった。
妹のピポーがカリフォルニアのパサデナで彼が死ぬまでずっと彼の面倒をみた。
1963年5月7日、休暇でドイツを旅行しているとき、彼はアーヘンの友人の家で亡くなった。
この空気力学の偉人はアメリカ合衆国から合衆国勲功章、フランクリン金章、国家スペースコレクション・サイエンス章を授けられ、多くの他の国からもあまたの栄誉を受けた。
ニックネーム スペースコレクション開発 at 11:54|
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